おばあちゃん家行くけどどうする?

今朝家を出ようとしたら父に「今日おばあちゃん家行くけどどうする?」と聞かれた。もちろん祖父母のことは好きだし自分が顔を出せば喜んでくれるだろうが、正直おばあちゃん家に行っても暇なだけだし来週の資格試験の勉強もあるから行きたくなかった。

昨夜の段階でおばあちゃん家に行くことを仄めかされていたので、予め用意していた「日曜W杯見たいからな~」という言い訳をした。大体いつも泊まり掛けで行くからである。

しかし、「今日は日帰りで行くから大丈夫だよ」と言われ、渾身の言い訳が一瞬で打ち破られる。
結局「資格の勉強やらないとヤバいから」と言い残して家を出たが、罪悪感を感じたから普段より熱心に勉強している。


(本題)
「おばあちゃん家行くけどどうする?」という質問はズルいと思う。なぜなら、表面上は行くか行かないかの二択なのに、実質的に拒否できない"何か"がある気がするからである。


自分が小さかった頃は損得勘定無しでおばあちゃん家に行ってオセロやったり将棋やったり唐揚げを食べたりしていた。

それが中学・高校になると、休日に部活があったり友人と遊んだりするようになり、おばあちゃん家に行くのが少し面倒になってくる、というかおばあちゃん家に行くよりも楽しいことが増えてくる。
かと言って行きたくないと言えば祖父母は悲しむだろうし両親ともギクシャクするだろうから、黙っておばあちゃん家に行く。多分この頃から「おばあちゃん家に行くこと」が義務っぽくなったのだと思う。そして、おばあちゃん家に行くのを断ることに罪悪感が生まれ始めたのだと思う。

つまるところ、その義務感=おばあちゃん家に行くのを断れない"何か"なのではないか。
もっと言えば、祖父母と孫との微妙な関係性なのではないか。

年に数回しか会わない祖父母と孫は、いつしか気を遣い合う関係になってしまうと思う。孫からの視点は上記の通りだが、祖父母からしても孫がそのうち自分達から離れてしまうことを分かっているから、孫が来る度にお小遣いをあげたり豪華な夕飯を作ってくれたりするのではないか(だから中学高校時代の僕は祖父母からお小遣いをもらう度に罪悪感を感じていた。大学に入ったらもらわなくなった)。

何度も言うが僕は祖父母のことが好きだし感謝もしているが、ついつい心のどこかでこういうことを考えてしまう。多分自分以外の人も何となくこんなことを感じているのではないかと思う。